『無道人之短、無説己之長(やすらかに、裕美)』


弘法大師、空海のことば。
「人の短を言うなかれ、己の長を説くなかれ」
・・人を非難するな、自分の自慢をするな・・
妻が病に伏し、すでに長引き、もとの住まいを片づけ整理している時、
神棚の後ろから埃をかぶった汚い掛け軸が出てきました。
ゴミ袋に入れる手を止め、つい広げてみると、テープで貼った手づくりのもの。
うしろに、「1年8組43番 鈴木裕美」。
岡高在学中、校内書道の展示用に作ったものか。
高校生時代の妻が初々しく想像され、埃を払って保管し、
やがて訪れたその日、座敷の床の間に掛けました。
藤田保健衛生大学病院から、帰らぬ人となって自宅に戻った日、早暁のこと。
妻、裕美が逝きました。

この、空海の言葉を、亡き妻からのメッセージとして受け止めてゆきたい、と感じ、
ここに記させて頂きます。
もとより中傷誹謗を嫌い、正直無垢で控えめに生きた、その生涯。
この数カ月、妻が病床にあって、逃げようのない現実を受け入れてゆく時、
いつも私の手元にあった本は、五木寛之著「他力」。
立ちすくむような悲しみの空気の中、親鸞の深い他力思想に支えられていた気がします。
その頃、整理中に見つけた、空海の言葉。しかも妻本人の筆。
若い日に選んだ言葉に、ハッとしました。

自力の空海。他力の親鸞。
自信に満ち、自力で悟りを開いてゆく天才、空海の世界。
煩悩に悩まされ、闇の底から他力のエネルギーを感じてゆく、親鸞の世界。
「自力は他力に促され、他力は自力を待って働きを見せる(寺島実郎著)」といい、
あの掛け軸の書から、自力と他力を説く、妻の生涯の声が聞こえます。
悪口は言うまい。うぬぼれは言うまい。謙虚に生きよう。それが妻の声。
10月半ば、覚悟して振り絞った声、オトウサンアリガトウ、とともに。

 

裏の『醸』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ やすらかに、裕美


妻、裕美が逝きました。
平成23年12月16日、享年59歳。
私事ながら、この地で今、私が受け止める大きな歴史であり、
そのことを遺す使命を感じて、ここに妻のことを記させて頂きます。
事業の大を成し、財を成し、名を成すこともなく、静かに、それでも一生懸命に生きて、
悩み苦しんだ生涯が静かに閉じて、穏やかな眠りにつきました。

何を遺して逝ったのか、
南山大学を出て、銀行、会計事務所を経て嫁いできました。
もとより、不器用、純朴、生真面目な生き方は、社会の風をよけ切れず、
歯を食いしばって受け止め、社会のお役が回ってくれば悩み、
話し方教室にも通いながら鞭打つ姿が思い出されます。
若宮町自宅で過ごした15年は、二人の幼い子たちを抱えて東奔西走。
欠町自宅に移って子の受験時代に付き合い続けた15年。
子どもは育ち、手を離れ、これから人生謳歌の希みの頃から、病がまとわりつきました。
「癌」の声を聞いたのが、3年前。
闇の底に落とされたような気分で、岡崎市民病院に伏していた時、
絶望の中から小さく口ずさんでいた子守唄が聞こえます。。
「ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子の かわいさ・・(中国地方の子守唄)」
まだ、子供を思うのか。

この話を聞いて、嶋田院長が届けてくれたCDが「夢慧(ユメサト)」の子守唄集。
暗闇の底からエネルギーが湧き出すように、他力の心に響きます。
あれから入退院を繰り返し、そして3年。
今年8月末、手術のため藤田保健衛生大学病院に入院。
点滴の最中に、突然脳梗塞発症。
意識を戻すも打つ手なく、闇に、不安に横たわる戦慄の中、再び襲った脳卒中で意識を失い、
さらにひと月を生きて、永眠致しました。

寝たきりの病室で流し続けた、夢慧のメロディ。
気になり、夢慧こと、渡辺伸を検索すると、すでに没。2年前のこと。
妻が闇を彷徨う頃、彼は肺がんを患い、声を残したく必死で民間療法にこだわり、
自分らしく永眠していったと報道され、無情の縁を感ぜずにおれません。

さて、妻は、何を遺して逝ったのか。
成したものは二人の子。命と教育。
次の命がまた社会に役立ってゆけば、それが人間の大仕事。
その長男が今修行している所は、栃木県那須。
昭和51年11月。35年前のこと。私たちの新婚旅行に行ったのが、那須。
人生、振り出しに戻って、また始まろうとしています。

(文・深田正義)